コロナ第7波の話が出ているなか、国際的な事情で燃料費が上がり、飛行機に乗ることはとんでもない贅沢になっている。最近はいつ日本が再び観光客を受け入れるだろうという疑問より、フランスから離れた国に行くのは夢のまた夢になるのではないかと不安を感じてきた。無論、自分がツイッターを買い取れるような億万長者や偉い人ではなく、自分にできることはないので、一刻も早くこの状況が良くなるのを待つしかない。       

 でもどこにも行けないうちに自分を蝕んでくるこの旅欲をどうにかできないかと悩んだ末、旅日記に少々の慰めを求められることに気がついた。特に渡航が一般化される前の時代を生きた冒険家などの書物を読むと、当時の「旅」がどれほど困難だったかを思い知らされ、この状況ですら我らは恵まれていることを実感させられる。
 例えば現在、何万人が闘い命を落としているウクライナ紛争の影響で、パリ―羽田間の直行便の飛行時間がたった1、2時間長くなるからと文句を言う人がいるようだが、戦後直後の外交官が記した自伝を読むと当時の東京行きはなんと40時間かかったらしい。こんな長期フライトでは飛行機の機体どころか旅の定義自体も揺れてしまう。


 そういう意味で時代を遡れば遡るほど面白い発見がある。さすがに日本に宣教師が来た戦国時代だと交通機関も話もだいぶ変わってくるが、『蝶々夫人』のプッチーニや在日大使だったクローデルなど明治時代以降に日本を訪れた数々のヨーロッパ人のエッセーや詩作を読むと、「日本観」がどんなふうに変化してきたのか把握することができるから非常に興味深い。歴史的な背景や東京・横浜の街並みが目まぐるしく変わるなか、結局変わらないのは人を魅了する蝉の声と下駄の音かな。


Rémi BUQUET

フリーランス翻訳家

buquetremi@negoto.fr