今年で創立11年目を迎えた「パリアブリコ合唱団」は日仏で構成されるアマチュア合唱団。団員たちの「パリ生活の支え」であるアブリコを主宰する指揮者、押田杏里(きょうり)さんのライフストーリーと合唱の魅力を聞きました。
今月のお客様 押田 杏里 さん
「ヤマト」からジブリまで
アブリコ合唱団について教えてください
アブリコ合唱団の特色は団員さんがパリ在住者だけでなく留学や駐在で来ている日本人とフランス人など日仏半々なところ。楽譜が読めなかったり日本語を話さない人も楽しんでますよ。設立当初は本当に団員が少なかったんですが、少しずつ増えて今は30人くらいで毎週月曜日に練習しています。
どんな曲を歌うんですか?
日本の合唱曲、例えば「大地讃頌」とかジブリの曲はほぼカバーしています。フランス人はジブリが大好きだから。「花は咲く」は日仏ミックスの言語でよく歌いますね。あと、日本のアニメの歌も「ベルばら」や「宇宙戦艦ヤマト」を日本語で歌います。ヤマトの原曲は男声合唱だけど、私が書き直して混声合唱にしてます(笑)。アブリコバージョンでは、指揮を始める前に私が「ヤマト!」って言うと、団員みんなが「発進!」って言うの。どんな時でも言うんです(笑)。年に何回かコンサートも行っているんですが、歌っている団員さんたち自身が楽しくて仕方ない感じですね。
とっても仲良しなんですね!
そうですね。歌の魔法だなと思うのは、知らない人同士でも一度一緒に歌うと仲良くなっちゃうの。アブリコで出会った日仏カップルも誕生しています。帰国したアブリコメンバー同士が繋がったり、パリに来ると練習に顔を出してくれたりね。パリにはいつもアブリコがいる、そういう場所にしたかったの。
最初から合唱好きだったんですか?
元々スポーツ少女でしたが、中1でひざを故障して自信をなくしちゃって。そんな時、中学の音楽の先生に声を褒められて自分で昼休み合唱団を作って、指揮者としてコンクールに出るようになったんです。将来は音楽家になろうと高校では声楽の勉強を始めて絶対イタリアに行こう!と。念願かなって2000年にイタリアに行った時、やっと見つけた家の入居が3ヶ月先! そうしたら叔母のパリのアパルトマンを2ヶ月使っていいよと言われて。フランスで過ごすなんてと思ったけど、一歩パリに踏み入れた途端、「ここは私の町だな」と思ったの。いつか住むことになるだろうなと瞬間的に思ったんです。
個性を出せば出すほど受け入れるフランス
いつフランスへ?
ミラノで2年過ごした後、日本に帰りたくなくて、ヨーロッパ中のオーディションでたまたま受かったのがフランスでした。2002年からパリに拠点を移し、その後少しウィーンなどにも移りましたが、2011年から再びフランスに。でもオペラ歌手として食べていくのは至難の業。若かったし、ツテもないし、東洋人なのはハンデだし、これが本当に私のやりたかったことだろうかとオペラを歌うのが苦しくなった。元々の夢は自分の合唱団を作って指揮者をやることだったから。それで原点に戻って、2012年にアブリコ合唱団を作って今に至るわけです。今はパリ郊外のコンセルバトワール(公立音楽院)でも教えていたり、各所でボイストレーニングの講座も持っています。
日本に帰りたくなかったのはなぜ?
元々、私は外国に行こうと自然と思っていたんです。日本が嫌いなのではなくて。日本より、こちらのほうがラクだなと思います。人と合わせよう、ハーモニーを大事にするのは日本人の私にあるんですが、フランスではそれだけだとつまらない人間に思われちゃう。自分の個性を出せば出すほど、フランス人は認めてくれるんですよね。そしてパリは日本好きが多くて、「日仏」でいろんなことができるのもポイントですね。
合唱指揮の魅力とは?
指揮をしていると、みんなが一緒になる瞬間が必ず来るんです。練習はじめはみんなまだ仕事や何かを引きずっているけど、最後は心が一つになって歌える。団員さんが「どんなに疲れていても絶対に行く」と言ってくれるのが本当に嬉しい。合唱指揮は私の天職だと確信しています。若い頃はどこか自信がなかったけど、今は目の前の人が歌の喜びで魂が輝けるように全身全霊で指揮することが私の音楽家としての使命だと思っています。私は「メメント・モリモリ(?!)」ですよ。死ぬまで生きる! 大切なのは「今」ですから!