最後に空を見上げたのはいつだろうか。覚えてない。地下鉄の階段を上りながら「今日も雨降るのかな」と何気に上を見るのではなく、意図的に空をしっかり仰いだのはいつなのか。日常的ではなさすぎて思いつかない。そもそも眼差しで雨を降らせる微妙な超能力を持ってないし、何時なのか知りたければ時計より太陽の位置に頼れるほど都会離れしているわけがない。
しかし空を見ることほど容易なことはこの世にない。金メダルの選手もできれば自慰以外の運動が苦手なIT系童貞もできるし、中央銀行の頭取も借金まみれの貧乏人も同じく仰げる。しかもこの高層ビルの少ないパリでは尚更、簡単。斜頸と鳩の糞だけ注意すればという話だが。
誰だって敬虔だった昔は聖書の教えに反して本来「働いてはいけない」日曜日にも畑仕事などした時は決して天を見ないようにしていたらしい。神の怒りを避けたくて。ギリシャ神話では当国の最高峰であるオリンパス山が神々の居所とされていたように、カトリック教の神様は人間がなかなか辿り着けそうもない「雲の上」にいる設定になっている。聖書の作者はまさかいずれイーロンマスクのような富豪者が出てきて宇宙旅行さえ可能にしやがることまで考えはしなかっただろう。不思議なことに地球平面説を信じ込む馬鹿も、神を超える存在になろうとする愚か者も、どの時代にでも出てくるのだ。
キリスト教の教義は小学生でもわかるほどわりと簡単。罪を犯した「悪者」は死後、地獄行きにされる一方、徳の高い人はロシア上空迂回どころか真っ直ぐ天国に行ける。本来それだけだったが、人気フェスみたいに天国には収容率の上限がじきに設けられ、死後方面のどっちに行かされるのか自信のない人は何より「煉獄」という半端な行き先を恐れるようになる。資本主義も資本主義なので天の赦しに相当する「免償」を買えるシステムも生まれ、罪を犯したにもかかわらずどうしてもすぐ天国に行きたいちょい悪い貴族は銭で救われる。それ以降悪さした金持ちの数を考慮すれば神の存在の証明ができなくても、少なくとも金銭的な面では神様はマスク氏を羨むはずがないだろう。
『煉獄の誕生』
ジャック・ル・ゴフ 著/渡辺香根夫・内田洋 訳
法政大学出版局
Rémi BUQUET
翻訳家・通訳者
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