今月のお客様 平山 美希 さん

フランスでは、バカロレア(高校卒業認定試験)において哲学が必須科目になっています。日本だと哲学は「倫理」の科目に含まれますが馴染みの薄い人も多いはず。そこで『「自分の意見」ってどうつくるの? 哲学講師が教える超ロジカル思考術』の著者でフランスに住む哲学講師の平山さんに、哲学やフランスでの様子について聞いてみました。

型を知ると考えることが
より楽しくなる

まず平山さんと哲学との関わりを教えてください。


 もともと考えることが好きでした。「なぜ生きるのか」とか。そのとき高校で「倫理」の科目に出会い、これは面白いと思ったんです。人がどう考えていたかを知るだけで、試験で点数を取れるんだって。家は親も兄も教員の教師一家で、大学は自然と日本で教育学部に進んだのですが、ゼミでは哲学系のものを取りました。フランス語も大学時の選択の一つでした。


その後、フランスへ留学しますが、なぜさらに哲学を学ぼうと?


 学部時代にパリ12大学へ1年間留学した際に、フランスで哲学を学ぶ際には考え方の型があるということを知ったんです。日本ではそのことを教わらなかったので、本場でもっと学びたいと思い、ソルボンヌ大学哲学科の3年時に編入、その後に同大学で修士を取りました。


型というのは?


 たとえば「芸術は美しくなければならないか?」という問いがあります。その問いにいきなり答えるのではなく、問いの中にある「芸術」や「美しさ」という言葉が、まず何なのかをはっきりさせないと、問いには答えられません。それら言葉の意味を明示した上で、問い全体の考察に進みます。与えられたものを受け身に取るのではなく、自ら分析していくことで、何でも考える材料にできるんです。

様々な分野にも応用できそうですね。


 この思考方法は、哲学の他に新聞など普通の読み物でも見られます。論理立てて物事を述べられるというのは、どの分野にも通用しますし、今回出した『「自分の意見」ってどうつくるの?』でも、それについて説明しています。

なぜ考えることに型が必要なのか?

フランスでの哲学のイメージは?


 印象は日仏で結構似ていると思います。フランス人からも「哲学なんて学んでも役に立たないでしょ」と言われたことはありますし。日本だと、より変わり者っぽいイメージがあるかもしれませんね。


深い議論はフランスの日常の中でも散見できますよね。


 よく悪くも日本語は、文法などの構造上も、物事をあやふやにしようと思えばいくらでもできる言語ですよね。日本人の会話の特徴は、「共感」と「広く浅く」の傾向があります。一方でフランス人の場合、私の夫もそうなのですが、共感がなく反論が多くて(笑)。最初はそれに慣れなかったのですが、今では共感ばかりの会話だと「本当に本音で言っているのかな」と思うようになりました。


子ども向けの哲学ワークショップもやられていましたよね?


 今は少しお休みしていますが、お題を出して、それについて話して、最後に作文で自分の答えを出すということをしていました。日本の子ども向けの哲学ワークショップは、最後に作文をやらせることはないですが、答えがなく終わるのはフランス的によくないと思い、取り入れていました。


哲学というと、思想だからつかみどころのないイメージを持つのですが、しっかりとしたロジックがあるんですね。


 哲学の方法論を学んでいた時、イタリア人クラスメートと先生とのやり取りで、印象的だったことがありました。彼女は「なんで型にはめるのか」「もっと自由に文章を書きたい」と主張したんです。それに対して先生は「型があるから表現できるのであって、型が無ければそれは単にぐちゃぐちゃなままなんだ」と答えたんです。もちろん型があることで考えやすく表現しやすくはなりますが、一方でエリート主義になる恐れもあります。考えることはもっと自由でも良いのかもしれません。しかし、一つの方法として哲学の思考方法を知ることは良いことだと思います。


「自分の意見」ってどうつくるの? 哲学講師が教える超ロジカル思考術


https://www.wave-publishers.co.jp/books/9784866214528/