ご飯は基本的に誰かと一緒に食べた方が良い。当たり前のようだけど勿論、例外が腐るほどある。口臭も冗談も同じぐらいキツい上司や武勇伝をやたらと語る同僚、或いは自分の配偶者の浮気相手とかになると供食のメリットはだいぶ薄くなるのだ。一方その飯の献立によってリアクションも当然変わる。「10秒飯」を一緒にどうと誘われても飛び跳ねるアホはこの世にいないはず。
それでもやはりたいていのケースは誰かと食事した方が健全。独身でフリーランスなら生活上仕方ない部分もあるし、出張で何処か知らない町に行くことがあったら「孤独のグルメ」ごっこがしたくなるような気持ちもわかる。しかしやはり出される料理の旨さを共感してくれる人はいた方が楽しい。一人だと飯自体が味気なくなるような気がする…まで言う人はさすがに店を選ぶセンスを疑って欲しいけど。ただ確かに一握りの大食いや筋肉バカ以外は基本的に皆毎日二・三度の飯をとっていく訳なので、ご飯をなるべく楽しい「ひと時」にしたら少なくとも損はしない。


ご飯を食べる際、日本はともかく、西洋諸国ならテーブルが必須。英文学の博士号を取ってない人でもきっとアーサー王の名前は聞いたことがあるだろう。実在したかどうかを別にしてその王がドラゴンと闘ったり聖杯を探したりするようなリアル武勇伝を残して西洋の中世文学に大きな影響を与えたという。騎士の仲間で囲んだ「円卓」も有名。だがつい最近ある若手歴史家がすっかり忘れ去られていた騎士の一人の名前を物凄く古い本から発掘し、文学界が大騒ぎ。その騎士の名はセグラン。他の騎士と違ってキャラ的にはどうやらあまり人気がなかったようで最終的に歴史の闇に葬られた。単なる仮説だけど、俺が思うに例の円卓からセグラン氏が消えたのは騎士達にグルテンフリーを始めようと言い出したからではないかと思う。主食の選択肢がパン以外なかったあの時代には自殺行為に近かったから。或いはセグラン氏が自ら離れていったかも、同朋のキツイ冗談や王の武勇伝にすっかり飽きちゃって。仮説的に後者の方が余裕で有力だな。




(邦題粗訳『竜を敵に回した騎士、又の名をセグラン』)
エマヌエル・アリオリ 著
Les Belles Lettres

『Ségurant, le chevalier au dragon』


Rémi BUQUET

翻訳家・通訳者
contact : buquetremi@negoto.fr