在日10年経っても度々経験する状況がある。
日本人の夫と一緒にお店やレストランでお会計の時、私が払っているのに店員が横で待っている夫におつりを返したり、質問したりする。私、透明人間になったのかしら? 言葉が通じな
いならまだしも、言語関係なく見た目がアジア人の方に意識がいっているようで、自分の存在が消されている。
見た目の話で言えば、ハイキングからの帰り道にフランス人の友達と一緒にバスに乗っていた時、横にいた日本人女性に停留所のことを日本語で聞いたら、「ソーリー、ノー イングリッシュ」と返された。私、今日本語で話していたよね? 外見と口に出している言葉にギャップがあって状況をプロセスできなかったみたい。
「英語ができない」と言う日本人に、「私もできないから」とよく半分冗談で返しているけど、外国人の見た目だから英語ができるのが当たり前という思い込みは手放してほしい。みんなが英
語が母国語ではない上に、期待を裏切ってできないと自分に何かが欠けているような気持ちになる。できるとしてもそれは「外国人」だからではなく、頑張って勉強したからだ。その努力が認め
られないのはちょっと悔しい。例えば日本語と比べたらフランス語の方が英語に近いけど、フランス人も同じく英語を学校で勉強して苦労している。
私も中学の時、英語のテストはひどい点数ばっかりだったな。ヨーロッパや世界の中でもフランス人は英語が下手という評判があって教育の問題もあるけど、フランス人にも英語は難しいのだ。
相手の顔と喋っている言語が自分が想像している組み合わせと一致しないことがある。日本語ができるフランス人、英語ができる日本人、「国籍×言語」の組み合わせは無限にある。
リラ
東京で翻訳者としても活躍する30歳のフランス人女子。持続可能な社会の実現に向けての活動もする。趣味は編み物とベランダの植物の世話。