「自由」と言われたら皆それぞれのことが思い浮かぶだろう。刑務所に入ってる者は単純に檻の外の空気や飯のことを思うだろうし、家の財布を握る鬼嫁から小遣いをケチられる者は長年買いたがってるオシャンのブリーフケースを自分が買えるところを想像したり、必要以上に働かされる者は平日の真昼間から公園の昼寝を夢見たりするでしょ。一方、大抵のフランス人は「リベルテ(自由)」と言われたら反射的に平等に博愛を言い足したくなるような気がする。あのドラクロワの名作に出てるトップレスの女神に導かれなくてもこの共和国の標語を思い出すからだ。無理もない。全ての学校や市役所などにド派手な文字で書いてあるのでごく自然で無意識に「自由・平等・博愛」をこの順番で覚えてきたのだ。
 革命期のスローガンだったそれは当時「さもなくば死」という風に終わったが、平和時にはやはりその響きはおっかなすぎて、省かれるようになった。一方、人権宣言は主に男性のためで女性が軽視されるという声が強くなり、時には男女平等に相当する「パリテ(parité)」を掲げる人が多くなった。実際、以前フランスは所謂男社会だったと言っても過言ではない。革命時代にオランプ・ド・グージュのようなフェミニズムの先駆者がいたりしても女性が参政権を持つのは1944年からで、日本の国会議事堂でたまに響くような性差別的な発言もここ数年まで割と頻繁で、権力を握る女性政治家はまだまだレア。


 ただし状況は少しずつ変わり、およそ10年前に県議会の選挙に立候補する方は必ず異性と組んでペアでキャンペーンする義務があると法律が決まった。それ以降フランス全国各地の県議会は半分女性になった。しかも決して「お茶配り」のような仕事を与えられず威厳のあるポストや委員会につき、男性より立派な働きっぷりだと評価されがち。無論それで性差別自体が消えた訳がない。実際男女平等が果たされるのを誠実に願いながらもこの記事を書いている自分は「鬼嫁」という言い回しを使ったことでフェミの逆鱗に触れたら謝るが、日本語を長年勉強してきたせいか「男女」じゃなくてアルファベット順を守って「女男」と書くべきだという話を聞く耳もねぇな。


Rémi BUQUET

翻訳家・通訳者
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