【Parisien突撃インタビュー】
ゴンクール新人賞作品の訳者に聞く 翻訳の仕事
【今月のお客さま】
堀切克洋さん
日本語訳された本を読んでフランスに興味を持った人も多いはず。翻訳とは言語が足かせになって見えなかった景色を、私たちに理解しやすく運んでくれる仕事です。今年7月14日に訳書『ベケット氏の最期の時間(原題:Le tiers temps)』を出版したばかりの舞台批評家で翻訳家の堀切さんに、翻訳について聞いてみました。
(文 守隨亨延)
原書から日本語へ――筆致の着地点を探して
まず堀切さんについて教えてください。
首都圏の大学でフランス演劇や舞台批評の講師を務めていました。現在は妻のフランス赴任に帯同してパリにおり、フランスでは翻訳の仕事と並行して、日本の大学とのリモート授業で俳句や戯曲創作を教えています。
『ベケット氏の最期の時間』とはどういう小説ですか?
サミュエル・ベケットというノーベル賞を受賞したアイルランド人の劇作家の晩年を描いた小説です。妻の死後、独り身になった最期の半年間を、自身の思い出語りを軸に外の世界の声を混ぜつつ展開されている作品です。ゴンクール賞とはフランスで最も権威ある文学賞で、そのゴンクール賞最優秀新人賞を受賞した作品です。
今作はノンフィクションということですか?
虚実織り交ぜて書かれています。作者がドキュメンタリーなどを作っているマイリス・ベスリーというラジオ・フランスのプロデューサーで、取材をしてそこからフィクションを立ち上げることを意識的にやっている人です。
今回翻訳をする上で大変な点は?
ベケットがどのような人間なのかを掴むことに苦労しました。彼が小説として内側から書いたものと、評論や舞台の演出では視点が異なってきます。今回の原書を読むと全体的には皮肉っぽい感じで書かれているのですが、ベケットの語りを日本語への置き換えた時の、筆致の勢いや着地点を探るのが大変でした。
意識せずに決まった日本語タイトル
ベケットは83歳で亡くなっていますが堀切さんは今30代後半、その辺りの年齢差と想像力も大変だったのではないでしょうか?
著者であるベスリーも30代です。彼女がヨボヨボなおじいちゃんの感覚を、言葉にしていく面白さはありましたね。晩年のベケットはとにかく動けないんです。風呂に入るのも一苦労で、バスタブからどうやって足を抜くかということが、延々と描写されているんです。
全体を通して堀切さんとしてのおすすめは?
ベケットは20代でパリに来て、高等師範学校で国際的な作家ジェームズ・ジョイスと知り合い、彼について聞き書きのアルバイトを得ました。その時のベケットの視点から見たジョイスというのは、面白いと思います。なぜなら、日本だとそういう視点の作品が少ないからです。例えば、明治の俳人・正岡子規は小説を書こうとして小説家の幸田露伴に教えを乞うたことがありましたが、子規の目線で露伴について書いたものは少ないですね。『坂の上の雲』は有名ですが、あれは歴史小説ですから! 日本は、ゼロから自ら創作したという体を成している文学作品が多く、一方でヨーロッパは今までの文学の歴史の積み重ねの上で、自らも文章書いているというのがあり、書く歴史性の意識みたいなものを強く感じます。
物語の舞台は主にパリですか?
晩年はパリ市内14区アレジア近くの老人ホームに入っていました。ただし、回想シーンで様々な場所に飛びます。ベケットはフランスの小さな村に家を持っていました。日本のプロレスでも活躍したアンドレ・ザ・ジャイアントも、じつはその村の出身で、「今アンドレは日本でチャンピオンになっているらしい」といったシーンもあります。
今回の秘話みたいなものはありますか?
タイトルですかね。最初、編集部がタイトルを決めるものと思っていて、あまり意識せず「こんな感じでしょうか」と言ったのが採用されてしまいまして、もう少しキャッチーなものにすれば良かったのかもしれません(笑)。
今後はどのような作品を手がけたいですか?
小説もそうですけど、今までずっと演劇や舞台の研究をしてきたため、それら入門本や理論書なども訳したいです。研究の翻訳本はそこまで爆発的に売れるものでもないですが、最近は特に元気がないと感じています。この分野がもっと盛り上がればと思っています。