フランス人は狂言のどこに魅力を感じるのか?

【Parisien突撃インタビュー】今月のお客さま 小笠原由祠さん

今号では和泉流狂言師の小笠原由祠さんにインタビュー! 小笠原さんは一般家庭から狂言の世界へ入り、現在はフランスで狂言師として活躍されています。バイリンガル狂言師として活動する息子さんのことも含めて、フランスでの反応や日仏の違いを聞きました。(文 守隨亨延)

息子の成長期を機会に母子をパリへ

なぜフランスに興味を持ちましたか?

内弟子時代に先生のアシスタントとして1991年に1カ月ほど初めてパリを訪れました。当時は湾岸戦争の時期で、フランス政府の多国籍軍派遣に対してフランス世論がデモや暴動で騒がしくしていた頃でした。パリで演劇の見習いもしていたのですが、その頃はまだフランスには兵役がありました。私と同じ年代の演劇学生が「徴兵があれば戦地へ行かねばならず、死ぬかもしれない」と私に真顔で言ったんです。日本とのあまりの違いにフランスに対して一気に関心を持ちました。

それですぐにパリに?

いえ、内弟子としての修行の身ですからそんなことは口が裂けても師匠に言えません!いつか狂言師として一端になったらフランスで学びたいと思っていたのですが、なかなか時期を作れず、息子の弘晃が中学へ上がるタイミングで、私の代わりに弘晃と妻を渡仏させました。実は中学・高校の時期は身体的な変化が出るので、狂言の稽古はあまりしないんです。それを利用して息子をフランスの学校で学ばせ、私は日仏を頻繁に往復しようと思いました。妻もフランスで学んだ経験もありましたし。

中高生というとデリケートな時期です。息子さんの狂言への反発などありませんでしたか?

なかったです。フランスにいたことで、逆により狂言を好きになったようです。渡仏した当初、当然ですが弘晃はフランス語ができないので普通学級には入れず、言語を学ぶ移民の子だけのクラスに入りました。そこで同級生たちは自分の国に対するアイデンティをすごく強く持っていたそうです。その中にあって弘晃は、翻って自分自身を見た時に「自分は日本人で伝統芸能を子どもの頃からやっている、そういう家庭に生まれ育った」ということが心の支えになったそうです。

自らの感性を信じて狂言を解釈すべし

日仏で狂言の捉え方に違いは感じますか?

狂言はフランス人の感性に合いやすいと思います。フランス人は抽象的な芸術が好きですよね。これは抽象である方が自分で解釈できて楽しいからです。フランス公演においては、字幕があるにせよ多くの観客は舞台で演者が喋っている言葉をほとんど理解できません。しかし自分の人生の経験値からイマジネーションを働かせて舞台を楽しんでくれます。狂言が内包している風刺的な性格もフランス人の感性と親和性が高いですね。一方で「何を喋っているか分からない」というのは、現代日本においては能や狂言の足かせになっています。

日本語が分かっても昔の言葉だから理解しづらいですよね。

芸術なので、言葉を一言一句理解する必要はないんです。仮によく聞いていたとしても「人は何とも岩清水(いわしみず)」とか言葉遊びのようなことしか言っていないですし(笑)。シャンソンだってカンツォーネだってフランス語やイタリア語が分からなくても日本人は楽しんでいるじゃないですか。歌詞だけにこだわらず、リズム、歌い手の声色などから各自が想像力を働かせればもっと楽しめるはずです。しかし、日本の場合は共同体からはみ出すことを良しとしない考え方もありますので、自分独自のやり方を表すというのは好まれず、ハウツー本にとらわれてそれが芸術鑑賞にネガティブに働く時もあるのかなとは思います。

今後、目指すところは?

フランスで日本文化を紹介し続けていくというのはもちろんですが、一部のコアな日本ファンの人だけでなく裾野をもっと広げたいです。ただ紹介するだけではなく、狂言などの日本文化が一つの刺激となって、フランスの人々に新しい発想をしてもらえる機会を与えられればと思っています。フランスの料理界では、フランスで活躍する日本人シェフたちがもたらした和食の技術や食材などによって、それがすでに起きていますよね。ですから私たちも狂言の様式性など日本の伝統芸能の根底にある素晴らしさと、フランスの舞台芸術の間で何か新しい化学反応が生まれてほしいです。私も精進しますが、息子にはそういうことをさらに担っていってほしいと思っています。

【小笠原さん親子HP】

https://www.atelier-oga.com/