要塞から王の居城そして世界屈指の美術館へ 歴史に彩られたルーヴル

今月のアート
Musée du Louvre
ルーヴル美術館
パリ
パリ1区、世界第一位の入場者数を誇るルーヴル美術館。その歴史は、12世紀フィリップ・オーギュストが要塞を築いたことから始まります。当時の「パリ」は、シテ島を中心とした小さな都市部のみ。その外側は郊外とされていました。外敵から都市を守るため、周囲に城壁が築かれ、その西端、現在のルーヴルの場所に軍事拠点として要塞が建設されました。これがその原点となります。セーヌ川を見渡せるこの場所は、都市の西側防衛の要所とされていました。イングランドと敵対関係にあったフランスはイングランド軍の進軍に備える必要があったのです。
その後、14世紀にシャルル5世によって王宮に改築されたその様子は、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の「10月」にも描かれています。そして16世紀、フランソワ1世は芸術大国を目指し、ルーヴルをルネサンス様式に改造する計画を立てます。途中王は亡くなったため、その意志は、アンリ2世、アンリ4世へと受け継がれます。アンリ4世は、宮殿内の大ギャラリーを王室お抱えの芸術家や職人に、住まい兼アトリエとして提供。ルーヴルを単なる王宮ではなく、芸術と学問の拠点にしようとしました。
ルイ14世以降、王はヴェルサイユに居住したため、不在になるものの、引き続き芸術家たちのアトリエとしての役割を果たしました。同時に王室コレクションをルーヴルに保管し、限定的ではあるものの一般公開されました。これが美術館としてのはじめの一歩と言われています。
フランス革命以降は、国家の所有となり、1793年に正式に美術館として開館。一般の人々へコレクションが公開されました。その後も、ミッテラン大統領の時には、ガラスのピラミッド、2012年にはアブダビに分館として「ルーヴル・アブダビ」ができるなど、長い歴史を持ちながら、ルーヴル美術館は現在も進化し続けているのです。
妹尾優子
仏語教師の傍、仏文学朗読ラジオ「Lecture de l’aprèsmidi」の構成とナレーションを担当。美術史&日本史ラブ。日仏の文学からアートまで深堀りする日々。
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