今に残る貴族文化の象徴 門外不出の作品に会える場所

今月のアート

Musée Condé

コンデ美術館(シャンティイ城内)Condé

 フランス・オワーズ県、シャンティイ城内にあるコンデ美術館。このお城は17世紀、国王よりブルボン家の支流コンデ家に与えられ、最後の当主ルイ6世アンリの代までコンデ家が所有していました。 革命初期の1789年、彼はドイツに亡命。当時亡命貴族の財産は国家に没収されるという法律により、シャンティイ城も一時国有化され、破壊の対象となり、主要な建物は崩壊。かつての壮麗な大殿堂は跡形もなくなりました。 1814年復古王政で国王になったルイ18世の補佐のため帰国、城も返還されるものの、ルイ6世アンリには嫡子がおらず、その莫大な遺産は、遠縁で同じくブルボン家の支流オルレアン家のオマール公に継承されます。

 オマール公は荒れ果てた城の再建に着手します。城の再建は大掛かりで莫大な費用がかかります。それでもオマール公がそうしたかった理由には、名門ブルボン=コンデ家を甦らせる家系的な責任、フランス貴族文化の象徴である城の建築的遺産の継承、そして個人的な情熱がありました。 軍人、政治家でありながら、歴史家、美術品の熱⼼なコレクターでもあったオマール公は再建した城内に美術館と図書館も設置。その美術館が現在のコンデ美術館です。彼は生前、この城をフランス学士院(Institut de France)へ条件付きで寄贈します。フランス学士院は国家機関でありながら中立の立場をとっており、政治的に安定しない国家よりも信用できたのでしょう。寄贈条件の中に、蔵書も絵画も一切持ち出してはならない、展示物の配置もできる限り現状でとあり、そのため、今日まで19世紀当時の貴族空間が保たれています。ここで紹介した、「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」もこの美術館に収蔵されています。 彼の遺言にこうあります。「私がフランスのために集めたものがフランスに残り続けるように」。

妹尾優子


仏語教師の傍、仏文学朗読ラジオ「Lecture de l’aprèsmidi」の構成とナレーションを担当。美術史&日本史ラブ。日仏の文学からアートまで深堀りする日々。