ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

ミュゼの扉

今月のアート

ピエール=オーギュスト・ルノワール

オルセー美術館

 降り注ぐ木漏れ日に包まれる楽しいひととき。見ているこちらも楽しくなりますね。今回は、絵画は楽しいものでなければならないというルノワールらしい作品を紹介します。19世紀後半、この絵の舞台であるモンマルトルは、都市と自然、両方の面を持つ社交場として人気で、芸術や文化の中心として芸術家からも愛されていました。

 ルノワールは、1841年陶器で有名なリモージュに生まれ、幼い頃に一家はパリへやってきます。13歳で絵付け、17歳で扇子に絵を描く仕事に従事し、職人としてキャリアを積みました。本格的に画家を目指すのは20歳頃から。まずルーヴル美術館で、ヴァトーなどロココ時代の画家の作品を徹底的に研究。そしてエコールデボザール(高等美術学校)で伝統的な絵画技法を身につけます。同じ頃、シャルル・グレールの主宰する画塾で、のちに印象派を牽引していくモネ、シスレーたちと出会います。彼らはパリから南へ下ったフォンテーヌブローの森に出て絵を描き始めます。それまでのように室内で過去の画家たちの作品を模倣するのではなく、自分の目で見た自然や風景を自由に描くのです。しかし、仲間たちが印象派の活動に邁進していく中、ルノワールは伝統的なサロンへの出品も続けます。大きな括りで印象派とされますが、彼の絵のスタイルはそれだけに止まらず、晩年には古典主義へと回帰していきます。彼にとって技法は手段であり、根底に流れるのは、絵を描くことの楽しさ、絵を通して人を楽しませることでした

 ルノワールの言葉「私にとってタブロー(絵画)は、親しみやすく、楽しく、美しいものでなければならない。人生には面倒なことがあまりに多いから」。

妹尾優子


仏語教師の傍、仏文学朗読ラジオ「Lecture de l’aprèsmidi」の構成とナレーションを担当。美術史&日本史ラブ。日仏の文学からアートまで深堀りする日々。