会場から美術館へ ―― カリアティードの間が見てきたルーヴルの歴史

今月のアート

カリアティードの間においてアンリ4世の結婚式

Mariage d'Henri IV dans la salle des Caryatides
Tangopaso, Public domain, via Wikimedia Commons

ルーヴル美術館シュリー翼1階

 ルーヴル美術館シュリー翼1階に、カリアティードの間(La salle des Cariatides)と呼ばれる広間があります。現在は主に古代ギリシア・ローマの彫刻が展示されていますが、その歴史はルネサンス期の王宮の改造に始まります。
 16世紀半ば、フランソワ1世がルーヴルをパリの主要な居所と定めた際、中世の名残であった主塔(ドンジョン)を取り壊し、自らがイタリアで目の当たりにした壮麗なルネサンス建築様式へ大規模に改装する方針を採りました。工事は彼の死後、息子アンリ2世に引き継がれ、アンリ2世の治世下でこの広間は王の舞踏会場として完成します

 「カリアティード」とは、アテネのエレクテイオン神殿に由来する、梁を支える四体の女性像のこと。この部屋のカリアティード像は彫刻家ジャン・グージョンが1550年前後に制作したもので、当時の舞踏会のために設けられた、音楽家席(la tribune des musiciens)を支えています。建築構造の一部が人間の姿という古代的な表現手法を、フランス・ルネサンスの宮廷建築に大胆に取り入れた例として特に注目されます。
 17世紀に入ると、この広間は王宮内の宮廷劇場としても利用されるようになり、モリエール一座がここで喜劇を上演しました。モリエールがルイ14世の前で初めて演じたのもこの空間です。当時は常設劇場がまだ整備されておらず、王宮の大広間がしばしば上演空間として転用されていました。その後17世紀後半には、ルイ14世の収集品から彫刻作品の展示が始まり、この広間は徐々に王家のコレクションを示す場へと役割を変えていきます。そして18世紀末のフランス革命を経て、ルーヴルが公共の美術館として生まれ変わると、カリアティードの間も正式に展示室として組み込まれました。現在では、王宮の祝宴と演劇の記憶を抱きながら、古代彫刻が静かに並ぶ空間となっています。

妹尾優子


仏語教師の傍、仏文学朗読ラジオ「Lecture de l’aprèsmidi」の構成とナレーションを担当。美術史&日本史ラブ。日仏の文学からアートまで深堀りする日々。