「この生き物」を探求する

今月の一冊

『裸のネアンデルタール人 ―人間という存在を解き明かす』

リュドヴィック・スリマック著・
野村真依子訳

柏書房

 『裸のネアンデルタール人』この夏に、九州国立博物館で『氷河期展』が開催された。展示会のポスターには、この先史時代を代表する3つの種――マンモス、ホモ・ネアンデルタレンシス、そしてホモ・サピエンス――が取り上げられていた。この展示会で2種類のホモの頭蓋骨が見られることを知っていたので、冗談めかして息子に「僕らの祖先たちを見に行こう」と誘って、一緒に行った。この展示会を見た後、ネアンデルタール人についてもっと知りたくてこの本を読んだら、衝撃な事実が待っていた。ちょうど夏に、人間の遺伝子の歴史に関する『遺伝子の長旅』(仏:L’odyssée des gènes)という本を読んでいた。その本によれば、人類全体が遠い共通の祖先を持つため、遺伝的に結びついており、ぶっちゃけ人類はみな「いとこ」同士だ。また、私たちの遺伝子には、ホモ属の他の種、特にネアンデルタール人との出会いの痕跡が刻まれていることも書いてあった。こうした交雑の遺伝的痕跡や、骨格から明らかになったサピエンスと非常に似た身体的特徴から、ネアンデルタール人は「もう一人の私たち」であると見なされることが一般的だ。
(仏:Néandertal nu)の著者が反論しているのは、まさにこのサピエンスとネアンデルタール人との同一視である。というのも、彼がここ30年にわたり追い求めてきたのは、人間ではなく、「この生き物」なのだ。この言葉を使うことで、彼らの人間性を軽視する意図は一切なく、むしろサピエンスとの体系的な比較から脱却したいという意志の表れである。「もう一人の私たち」として捉えていることが、逆にネアンデルタール人の精神世界への理解を妨げている。彼らの精神世界は、サピエンスのものとは、オオカミとプードルくらい、大きく異なっていたはずだというのが著者の主張だ。
 息子と二人の訪問は結局のところ、祖先のサピエンスと「この生き物」への訪問だった。

ジャンマリー・プルドン


福岡在住のフランス人。福岡で仏語教室やフランスに関わるイベント企画を通してフランス文化普及に貢献する。Nautilus主宰。